2012年6月3日日曜日

高校留学をしたことで、夢に向かって進む力が身に付いた


参加コース:オーストラリア高校留学プログラム
留学期間:2001年4月〜留学中
留学先:エッセンドン・キロー・カレッジ (オーストラリア・メルボルン)

1985年生まれ、茨城県出身。中学卒業後の2001年からオーストラリア・メルボルンにあるエッセンドン・キロー・カレッジに留学。高校卒業後は現地のIDEA専門学校でwebデザインや3Dアニメーションを学び、2006年にRMIT大学アート学部マルチメディア科に編入。その後、メルボルン大学大学院(ビクトリアン・カレッジ・オブ・ザ・アーツ)に進学し、本格的にアニメーション制作をスタート。大学院最優秀アニメーション作品賞や大学院最優秀脚本賞を受賞した。現在は、同大学院の博士課程で研究を行っている。

高校時代の2003年に描いた作品です

専門学校時代に作った3Dアニメーション「花hana」から。環境問題をテーマにした作品です

RMIT大学時代に作った作品から。3Dアニメーションなのですが、ペインティングの質感をイメージして作りました

RMIT大学卒業時

大学院時代、ショートフィルム撮影中の写真です。撮影のディレションをしました。左が僕で、右はK・F君。カメラを担当してもらいました


第1層の大学とは何か

2007年に作った人形アニメーション「Winter Peony」からのワンカット

同じく「Winter Peony」からのワンカット。針金などを使い、花を再現しています

イアン・マッケイグ氏との一枚。

大学の編集室にてアートディレクションをした作品について力説中

現在は主にこんな感じの抽象的なアニメーションを作っています。知り合いのプロジェクトの一環で、メルボルンのフェデレーションスクエアのスクリーンで公開しました

Q:高校留学をしようと思った理由を教えて下さい。

A:偶然、ICCの高校留学フェアへ行ったことがきっかけの一つです。それからアメリカのアラバマ州にあるNASA(マーシャル宇宙センターだったかな…)を訪れた際に、そのスケールの大きさに驚き、NASAで働いてみたいと思ったのも、その理由の一つですね(今では方向が変わってしまいましたが)。NASAで働きたいと思ったのは、宇宙へ行ってみたいというよりは、地球の環境に興味があったからです。

Q:当時の英語力はどれくらいでしたか?


私達のトップ学部物理学のプログラムは何ですか

A:留学したての頃は、英語を話しても通じない、相手が言っていることが全く聞き取れない、自分の誕生日も英語で記述できないといった感じでした(笑)。留学前の準備としては、日本の中学レベルの英語教材を読んだり、練習問題を解いたり、ほとんど日本での受験勉強みたいなことばかりしていたと思います。あとは、簡単な日常会話のフレーズを覚えていました。
渡豪してからは、英語でコミュニケーションをとることだけに焦点をしぼり、実際に現地で使われている言い回しを聞き取っては、真似して発音してました。パターンとして、あの音がきたら、この音を返すといった具合に、言葉のキャッチボールで英語を覚え、辞書はほとんど使いませんでした。

Q:留学先の高校の印象はいかがでしたか?

A:留学以前から聞いていたことなのですが、正直「日本人が多いな」って感じでした(苦笑)。でも、ある意味、安心したのも事実です。ICCを通して一緒に留学し、似たような心境の日本人がいたことが、当時は、勉強面でも精神面でもかなり支えになりました。日本以外の様々な国からも留学生が来ていたので、ESLの授業などはすべてにおいて新鮮で、発想や考え方、態度の違いなどでカルチャーショックを受けたことを覚えています。

Q:日本の学校と比べて、違いを感じたのはどんなところでしたか?


テスト不安を管理する

A:すべての学校に当てはまるかは分かりませんが、僕が留学した高校では、日本の学校にありがちなホームルーム、掃除の当番、委員会とか、そういった学級活動的なものが一切ありませんでした。遠足などの学校行事もすべて自由参加だったので、日本とはシステムが大きく異なるなと思いました。
日本にいた時はそういう行事が面倒だと思って、あまり積極的ではありませんでしたが、友達から日本の高校の話を聞くと、修学旅行や文化祭など、仲間と思い出を作れるイベントが多くて、少し羨ましくなったくらいです。でも、イベント参加を強制されないので、人付き合いが苦手な人には快適かもしれません(笑)。

Q:履修科目で印象に残っているものはありますか?

A:子供の頃から絵を描くのが好きで、中学、高校の頃はほぼ毎日(イラスト的な)絵を描いていました。その延長で美術の科目をとっていたのですが、正直勉強するというよりも、気分転換としてとっていました。昔から、日本の美術館で、(モネやルノワールなど)フランスの印象派の油絵をみる機会が多かったので、それに近いものを何となく描いてみたくて、印象派の油絵のスタイルをよく真似て描いていました。

Q:高校留学を体験したことで、価値観はどのように変わりましたか?


A:以前より日本が好きになりました。それから、自分が好きなことをやっていても良い、という自信が付き、建前でない本当の意味での目標というか、夢にむかって進んでいく力が付きました。この感覚は日本にいたら身に付いていなかったかもしれません。現実的な強迫観念っていうのかな、例えばテストの順位とか、成績や学歴で将来なれるもののリミットがだいたい決まってしまうような、そういうものからは解放されました。
周りの目を微塵も気にせず、好きなことを突き詰めていけるカリキュラムに加え、高校の先生や、ICCを通して出会ったガーディアンさんのサポートのおかげです。

Q:高校卒業後、日本の学校ではなく、現地進学を決めた理由は?

A:高校留学の3年間で、恐らく周りにいた留学生の中でも一番英語が伸びませんでした。何より英語が嫌いでした。絵ばかり描いていて、一番の目標であった英語習得を疎かにしてしまったんですね。でも、日本に帰ろうとは思いませんでした。どうしてかというと、大学卒業までは海外にいようと漠然と考えていたからです。そうしているうちに、英語もだんだん好きになって、もっと学びたくなりました。



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