超超越
人種を超え、時代を超え、国を超え、宗教を超え、全ての者がひとつの思いに調和するのが音楽 何ものをも超える「超」をテーマに演奏活動を行います。
●「伝統」と「斬新」
古きを尋ね新しきを知る
伝統を大切に、原点を知ることに力を注ぎます。
それと同時に次の時代に向けて斬新な演奏、新しい曲の開拓にも力を注いで行きたいと思います。
●社会貢献
各界の方々のご協力で社会貢献のある音楽活動をして行きたいと思います。
13~14世紀にコンサート専用の部屋ができ、やがて立派なコンサート専用ホールができ、クラシック音楽は独立した表現芸術として発達し、社会の中での音楽家の位置付けもはっきりしてきました。しかし20世紀に入り人の心と離れた即物的な演奏をよしとする傾向が現れてきました。国際交流、平和・調和のすばらしさ、忘れられかけている心の豊かさなど歌い上げる「社会に貢献する音楽家」めざして努力しております。
●哲学的アプローチ
元々父親が哲学者にしたいと思っていた影響もあってか、哲学的アプローチを研究するのが好きです。例えばピタゴラスによる音と数の関係の理論などは、バッハやバルトークを究明して行くのに多いに役立ちます。又、禅の角度からの検証も始めています。シャコンヌについても新しい見地から研究すると思わぬ発見があり東洋の思想とも共通するものを感じます。
●誰かのために
両親を失ったバッハの音楽活動の原点は"人々の心を慰めること"だったそうです。
その心をバッハの曲から学ぶことにしております
なぜ学生は非常によく自分の時間を管理する方法を知っているでしょうか?
救い
私も幼い時父を亡くし何もできなくなってしまった時期があります。PTAの知り合いの方々がそんな私を救ってくれました。再びヴァイオリンを手に、「私にも音楽で人を救うことができれば」と力が湧いてきました。
好きなことば
「人のためにしてあげる喜びのないひとは喜びの半分しかない人です」ブラームスの母親がいつもヨハネスに言っていた言葉です。
「神のことばを除けば、ただ音楽だけが称賛されるに値する。悲しみに沈む者を慰めるとき、絶望した人々に勇気を与え、高慢な人々を打ち砕き、恋人達の気持ちを和らげ、憎みあう者たちの心を和らげる時、音楽以上に力のあるものがあるだろうか」
『音楽礼賛』マルティン・ルター
私の演奏へのこだわり
●バッハをひくことへのこだわり
以外だったバッハの実像
バッハのことを学び始めるといろいろな面からのバッハ像が浮かんで来ます。ヴァイオリン曲とピアノ曲しか知らなかった私ですが、カンタータなどを聴くとこんな面もあったのかとびっくりします。あの有名な「音楽の捧げ物」のできたきっかけも初孫の顔が見たいという極めて人間的な"お祖父ちゃん"の発想からと知ったときは私の祖父とバッハの初めての共通性を感じました。転職に悩んだり、お金の計算をしたり、本当に普通の人だなあと思う所ですが、何があってもめげない、又人の心を大変よく考える所はとても並の人間でないと思えます。これからは美学、哲学の面からもバッハが築き上げた世界を勉強して行きたいと思っています。このページでの出会いがきっかけで私のヴァイオリンをきいていただければとてもう� �しいです。
小児肥満とファーストフードに関する調査研究
●決断
バッハの曲を録音するのは私にとって勇気のいる決断でした。
幼い頃からバッハの音楽はよく耳にしておりました。母がバッハのクラヴィーア曲の研究をして
いたこともあり、平均率、フランス組曲、イギリス組曲、パルティータ、インヴェンションとシ
ンフォニアなどの音楽は年中家の中を流れ、小さなヴァイオリンで真似をして弾いていたそうで
す。バッハが如何に偉大な存在であるかを教えてもらう機会もたくさんあり、何か巨大な神聖な
る世界を感じ、私はただただ天を仰ぐようにバッハに接していました。
ある日、バッハが生まれ育った街アイゼナハを訪れたときのことです。この街はマルティン・ル
ターが育ち宗教改革を始めた街でもあります。私はそこでルターが宗教における音楽の価値を高
く評価し自ら作曲も行っていたことを知りました。ルターはこう言っています。「音楽によって
話しかけることが一番たくさんのことを伝えることができる」私はそれまで音楽を話しという感
覚で捉えたことはありませんでした。その日から音楽の一音々を言葉を読むように、その中にあ
る意味を考えるように勉強し始め毎日夢中になって練習しました。すると神のように高い存在の
バッハが、突然身近に私の心に語りかけてきます。私の心の良き理解者になってくれるのです。
引用"飢餓と肥満のパラドックス"
●バッハの聖地でのシャコンヌ
私のリサイタルではいつもバッハをプログラムの中に入れております。ヨーロッパ各地でのリサイタルでもほぼ毎回バッハの曲は取り入れて来ました。ずい分たくさんの国でバッハを弾いてきました。どこでの演奏もすばらしい体験でした。しかし何といっても忘れられないのは、バッハの聖地ライプツィヒで演奏したシャコンヌです。
高い天井から神の声のようになって降ってくる私のヴァイオリンの音に導かれ曲のちょうど中ほどにさしかかった時です。ニ短調の2拍目が重いこの曲が急にニ長調になり、静かに静かに始まる2拍目の和音に入ったところで今までにない霊感に導かれました。本当に自然に自分のすべてを注ぐことができたのです。
会場中が静寂に包まれ、再びニ短調、低音部のレ・ド・シ・ラに導かれる壮大なスケールの終結で最後の主音の残響が去ったとき2000名の会場総立ちの嵐のような拍手がおこり正に茫然自失の状態でした。
翌年にも又同じところでシャコンヌを演奏させていただくという栄誉をいただき、以後毎年シャコンヌをバッハの聖地で演奏させていただいております。5回のリサイタルが好評をいただき、ついにあこがれのバッハフェスティバルに招聘していただけることになりました。身に余る光栄です。年毎に重みを感じ、ますます精進し新たなシャコンヌ創りに挑戦しようと思っております。
●バッハの音程
・・・精神が救われ安らぎをもたらす音程は・・・
私がバッハの音楽を作っていくのに一番こだわっているのは音質それから音程です。
音質はともかく、なぜそこまで音程を?といわれることがあります。音程というと「ミスをしない、はずれない」ことの範囲で処されてしまいがちですが、当たっている範囲の中でどの高さを選ぶかが問題なのです。ラの音といっても高めのラから低めのラまでヴァイオリンの場合無限にあるのです。そして本当に安らぎのある音程というのはその中の一点です。まず、背後にある和声感を理解すると音程の候補が出てきます。重音(2つの音の重なり)は正に音程どうしの譲り合いです。お互いに譲り合い調和が生れると、絶妙なハーモニーが生れます。バッハ自身もこの音程にこだわりを極めて強く持っていたようです。それらがうまく響き合い、会場に響き渡るときそこにいる人たちに至福のときが訪れるのです。
お客様との接点
作曲家の原博先生が書かれた著作に「無視された聴衆」という本があります。母の師でもある原先生からは私もずい分多くのことを学ばせていただきました。音楽のつくりがだんだん音楽の専門家向けになり、聴衆のための音楽から遠ざかって行くとの恐れは原先生だけでなく多くの人が憂えています。ヨーロッパではお客様がはっきり意思表示をします。気に入った時は拍手をしますが、気に入らないと席を立つ人さえいると聞いています。オーケストラのツアーでヨーロッパの各地をまわっていて実感したことがあります。そのシーズンはメンデルスゾーンの協奏曲を弾いたのですが、彼が生れた地ハンブルグのホールでの演奏の後、ロビーで私の周りに人垣ができ、皆が口々に私達のメンデルスゾーンを美しく弾いてくれてありがと� ��といってくれました。作曲家が生れた街や長い年月活動した街でその作曲家の曲を弾く事には格別の意味合いがあります。聴衆も自分の街の音楽家には思い入れがあるようです。ベートーヴェンの生地ボンやハイドンが幼少期を過ごしたハインブルグなどの街でも熱い反応がありました。
日本ではなかなかお客様の声を訊く機会がありません。
ヨーロッパにはサロンというものがたくさんあり、色々な方面の方と交じり合い意見を交換しながらコンサートを聴くという形が良く行われています。ショパンやリストもこのような環境で育ってきたそうです。
皆様のご意見をいただき、これからの音楽を創って行きたいと願っております
斎藤アンジュ玉藻
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